高橋尚子

2008年3月19日
こないだの日曜日、夕方6時ぐらいから放送された
緊急ドキュメントって題された
高橋尚子を追っかけた番組を見た

それも日曜日帰宅して
深夜家族が寝静まってから

その1週間前に行われた名古屋国際マラソンを
僕は見なかった

忙しいというのもあったけど
きっと強烈なライバルが出ていない大会だけに
『高橋尚子』が鮮やかに勝って北京への切符を手に入れるんだろうって思ってた

が、しかし
結果を知ってからスポーツニュースで見た
序盤での失速は、かつての五輪金メダリストの面影はなく
ただ時の流れによる無様な敗戦を受け入れる為だけに走っているかのように思えた

そして僕の頭の中で一つの疑問が芽生えた

何故、高橋尚子は名古屋国際で最後まで走ったのか?
または走らなければならなかったのか?

応援してくれる周囲の期待に背くわけにいかないから?
それともトップアスリートの意地?

僕から言わせればどちらもNOだろ
プロの陸上競技者である彼女が
序盤で失速し、北京行きが絶望になった時点で
走る意味を失くしていた筈だ

だから走るのをやめてもそれはそれで誰も彼女に文句を言わないだろう

もちろん体調も悪かったんだろうし
走り終わってから昨年の夏に受けた手術を口にするのであれば
途中棄権していたとしても同じことを口にすれば
世間の同情を引くこともできただろうに

何故、彼女は最後まで走り続けたんだろう?

世の中はうつろいやすく
敗者には誰も興味はない

単なる『時の流れ』で解決されてしまう
そう有森裕子の顔が歪んで
高橋尚子のいる先頭集団から遅れ出したときと同じだ

そして世間の関心はいつも新しいヒロインに注がれる
高橋尚子が完走して完敗しようが途中棄権しようが
北京に行けないことには変わらず
ギャラリーにはもう興味のないことだ

それなのに彼女は最後まで走り続けた
先頭から遅れること20分
マラソンランナーにとって永遠にも等しいタイム差
でも彼女はたくさんの観客が見守る競技場へ帰って来た

そしてゴールした瞬間の笑顔

この笑顔を見た瞬間僕は思った

完全にやられたな

やっぱ人間の格が違う
「足が痛くて走れませんでした」って
ゴール後、泣き叫んで同情を買うこともできただろう

でも
彼女はそんな小さな人間ではなかったのだ

たぶん序盤に失速した段階で
高橋尚子の中で
目的が変わったんだろう
いや
スタートの段階でそうだったのかもしれない

彼女はレースに出ずに北京を諦めることや
棄権して自分から逃げる人生よりも
醜態をさらしても完走する屈辱を選んだのだ

陸上選手なら当たり前だと言う声も聞いた

それも言わしてもらえれば申し訳ないけど
そんじょそこらの陸上選手でしょ?
って気がする

トップアスリートにとって
果たして当たり前か?
マラソン解説で御馴染みの増田明美さんは
ほとんど期待されたレースは棄権だったように記憶している
『期待』という恐ろしい重圧がかかる中

「北京へ」と背中にのしかかる期待が絶望に変わり
それでも逃げずに走り続けて
最後に笑える彼女はやっぱりすごいわ

僕が42年間で育てた『男』なんかより
はるかにすごい高橋尚子という女性に脱帽である

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